素晴らしい彼女と不安の話

 

 耳に息を吹きかけられながら股間を触られた。それで俺は、『!?』と思った。

 さらさらした水みたいな人だったと思う。同じ大学の同じ学部だったのに、俺は大学4年になるまでほとんど気にかけた事が無かった。
 4年のコマ数の多い授業で俺たちは一緒になった。とある飲み会で、俺は彼女と初めて長く話した。

 彼女は空気を読む人だった。彼女は場が笑えば笑い、場が静まれば静かになった。だから遠巻きには印象の薄い人だったんだと思う。でも近くでよく耳を澄ますと、彼女は場の空気より時々『早い』様に感じられた。彼女は場がそういう雰囲気になるよりちょっぴり早く冗談を言い、話題を切り替え、そして突然政治的な話を投げ込んだりした。そう思って聞いていると、彼女はみんなに話を促していた。

 興味が湧いて周りに話を聞くと、彼女を悪く言う人が誰もいなくて、彼女はとても良い印象で、それでいて彼女にリーダーシップのようなものを感じている人はほとんどいないみたいだった。彼女の言葉は率先して皆が欲しがっている雰囲気を作りだしていた。彼女は言いたい時に言いたいことを言えるように周りを操っていた。それなのに一見そういう風には見えないんだ。そこがすごい。

 それがそんなに上手くできないから、俺は思った事を言うのに苦労した。そういう経験があった。

 だから惹きつけられてしまった。好きになった。近づいた。俺が彼女と恋人になれたのは、色々な偶然によって幸運と奇跡が積み重なった事だと思う。

 付き合ってからそういう事を伝えると、「言い過ぎだよ」と笑いながら言われた。「そんなに上手じゃないし、そんなにいつも考えて無いよ。……それに、私は沢山失敗しながらやったんだよ」

 そう、さらりと言ってのけるところも、すごいんだ。

 俺と彼女が初めてセックスをしたのは12月の寒い日だった。付き合ってから半月がたっていた。

 大学生が彼女との初のそれに一般的にどのくらい時間をかけるのかは分からないんだけど、俺が少しそのそぶりを見せると、彼女は俺の予想を超えて、自分からどんどん俺の体に触れた。

 俺は耳に息を吹きかけられながら股間を触られた。

 彼女は俺の頭を撫でた。彼女は俺の肌を撫でながら俺の服を脱がした。彼女は俺の体の色んな所にキスをした。彼女は俺に触れながら、俺の耳元に言葉をささやいた。彼女は俺にどこに触れてほしいか聞いた。俺はなんて答えていいか分からなかった。そうすると彼女は俺の手に触れながら「ここは?」と聞いた。俺は気持ちいいと答えた。彼女は今度は耳元に触れながら「ここは?」と聞いた。

 彼女は俺にフェラチオをした。それから俺の体を沢山撫でた。彼女は俺の足の指をかんだ。俺は小さく「いたいよ」と言い、それが自分で出したことのない「いたいよ」という言葉だった気がして恥ずかしくてなんだかわけがわからなくなった。彼女は、なんというか、とても慣れていてとても上手だった。

 俺はクラクラしながらセックスをした。自分の知らない事を沢山彼女は知っていた。
 俺は終わってからシャワーを浴びて、全部思い出すと自分が情けなくなった。

 俺はその後彼女に沢山質問をした。セックスについての事だ。彼女は幾つかの質問に短く答えて、あとの質問には『今はいいよ』と言った。中学の頃の教え上手だった先生を思い出した。

 俺はこのままじゃダメだと思った。
 セックスはその後不定期に、けれど週に1度は行われるようになる。2度目の時から必死に意識して、俺は自分も相手の体に触り、気持ちの良い場所を出来るだけ探すようにした。言える言葉を探して口にするようにした。抱きしめたり、耳をかんだり、こちらからも沢山の事をした。自分の行動で相手が気持ちよくなっているのを見るのは気持ちよかった。自分がS気味な事を知った。

 少しの不安を覆い隠す様に、俺はだんだん行為の間饒舌になった。手も口もよく動いた。彼女に主導権を渡したくなかった。

 半年もかけて俺はだんだん慣れていった。セックスの時に必要な決まった手順と手続きを俺は理解した。そうすると、彼女にセックスの事を語らせる必要はなくなった。

 俺は彼女に単純なセックスの事は聞けても、過去の男性経験などを聞けなかった。怖かったからだ。ふとした瞬間、背中をほとんど妄想みたいな怖さがよぎる。
 彼女は色々な事が上手で、そして沢山の事を知っている。彼女を抱きしめている時、俺は世界の秘密を抱きしめている様な気持ちになる。でもだから、幸運と奇跡で選ばれた俺にはもったいない相手なので、何かの拍子に彼女は俺を選ばなくなるかもしれない。

 彼女との初めてのセックスの時、俺は全然だめだった。彼女が俺の先生になってしまっている時、俺には彼女が俺を選ぶ理由が無い様に思える。だから俺は自分から動かなくちゃいけない。色々な事をしなくちゃいけない。

 そう思って気が付くと、俺の口数は彼女の前で随分多くなる。

 不安なのだ。

 裸になって黙って向き合うと怖くなる。だから彼女の中が濡れていて、行為が成立すると安心する。彼女に覆いかぶさって腰を振る。彼女が声を上げる。そうすれば彼女が何を考えているのか、考えずにすむ。俺はその単純さに救われる気持ちになる。

 俺はセックスが好きだった。そして、だんだんセックスの事を考えないようになっていった。

タイトルとURLをコピーしました